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日々の中で気づいたことを綴ります

7/11 少年少女が一度は抱くかもしれない心の葛藤の1問題

先ほどの記事に続き、テーマが一旦変わるので別記事として書く事にしました。

人間の持つ「冷たさ」についての記事という点では関連がある話題です。

 

このブログを見てくださっている方やそうではない方でも、一度はこのようなことを感じたことがあったりなかったりすることでしょう。

「白いままで生きていたい、黒になりたくない」という思い。

ちょっとした悪でも受け入れたくないような純粋な気持ちです。中高生の時代にこのようなことを考えたことはありませんか?あくまで性善説を持って生きているような人にしか経験がない話ですが、それらの人にとって幼い、若いうちにこのような気持ちで悩んだり苦しくなることはあると思います。

人は気づかないうちに他者を傷つけることがたくさんあります。しかし時と場合によっては自分自身を守るための行動や他者を守るための行動である場合もあります。それら他者へ向かう攻撃を全て害とし悪とした場合、この世界で生きることは大変苦痛なこととも言えます。いじめに遭って自殺する人でも優しすぎるが上に生きていけなくなった人がいくらかいるようにテレビでニュースを見ていると感じます。

完璧な清さを求めれば求めるほどに障害が起きます。

善く生きて生きた人ほど余計に少しでも悪を取り込むことに嫌悪感を持ちます。

しかし、必要以上にそれを拒み、拒めないような環境になったとき、善く生きることを守り抜くために解離性同一性障害になってしまったり、善く生きたい一心で悪が許せなくて殺人や善く生きることができないなら・・・と自殺に発展する場合もあります。また、全てを悪として生きてしまおうという偏った考えに発展する場合があります。

100%善く生きようとすることはとても大変であり、いいとは言えません。

そうしようとした結果による失敗が招くことの方が悪となってしまう場合があります。

善悪持ち合わせていることが一番快適に生きられる方法なのは言うまででもありませんが、他者に迷惑をかけないことなら悪ではありません。

嘘つきな人間になってしまったって、詐欺など人を騙したり、ありもない嘘の噂を流して誰かが悲しんだり、犯罪になったりするようなことではなければ、思いやりによるものなら悪いものでもありません。

善悪の基準が人それぞれ違うことは生きる上で大変厄介なことです、まだそれはどうしたらいいのか探しているところですが、かつて私は失敗して破綻したことによって周囲に迷惑をかける行動をひたすら続けていた時期があります。

善悪は紙一重です。

私のように失敗して破綻して悲惨なことになる人が減って欲しいものです。

テレビの中の犯罪のニュースを見ていると、そう感じるものがいくつかあります。