TIME

日々の中で気づいたことを綴ります

10/2 境界性人格障害でタゲになっていた人の一年後

こんばんは、最近少しずつ寒さを感じるようになってきましたね。

それもそのはず、カレンダーを見ればもう10月。早いですね・・・本当に早いです。

ブログの記事を改めて見返していても、このブログを作ってそろそろ1年近いのではないかというくらいに経過したことを実感しました。

一年前はボダ、境界性人格障害の人に何年も苦しんで苦しみ続けた内容が記事にされています。もうあれから一年ほどが経つと思えば時の流れって早いですね。

もともとは私自身がネットから得た、また苦しんで考えた末に自分なりに出した結論を記しておくために作ったのがこのブログです。

あの頃は本当に自分自身もやられてしまって、どうなることだろうと思いましたが、意外と何とかなったものです。

まだ傷は奥深くに残っていて、完璧には取りきれていないのですが、表面上、生活上は問題がないくらいには寛解したと感じます。

当時は「境界性人格障害」というものを彼女に出会った頃は知らなかったので、それで苦労したのもありますし、通常の人と同じとして考えていたがために、行動が常軌を逸していて理解できないため、ものすごく苦しみました。

初めは性格が異常だとか性格の病気、もしくは精神疾患だと思いそれで必死に調べて「境界性人格障害」というものにたどり着きました。

だけども「克服」したとは言い切れないのが現状です。

最近はそのような方が身の回りに今のところいないのでいいですが、また再び同じような方と出会った時は恐れを抱きます、怖いです。また、この出来事をむやみに引き出されることに関しては未だに不快感を持ちます。ましてや、特にまだ信用ができない段階の他人に引き出されるどころかつつかれたり、つけいられたら未だに耐えられないところはあります。

そのような人を見分ける目を持ちたいというのが今後の課題でもあり、うまく立ち回りができるようにもなりたいと思うところです。それにはもちろん、自分自身をしっかりと持ってブレないくらいのメンタル力を持つことは当然、時には自分の身を守るための方法も必要だと感じました。

きっとあの件は今後も私は忘れることはきっとできないでしょう。

そのくらいショックが大きな出来事です。

あの経験を活かして、同じように苦しまれている方々の役に立てれたら幸いですし、一人でも多くの方がボダからの損傷を回復できたら良いなと思います。

近くにいるボダに今苦しまれている方々に贈ります

「あなたはもう十分頑張った、とても優しい人。

 どうか自分自身が壊れて精神疾患になったり、心がなくなった人間になってしまうほど無理と我慢をしないで。

時には助けを求めて。時には逃げて。

時に良心が痛むことがあれど、勇気を持って決心して欲しい。

そしてなによりも自分を大切にして欲しい。 」

 

9/30 心理学の善悪とカウンセラーについて

こんばんは、前回の更新からまた2ヶ月ほどが経過しました。

どうやら2ヶ月に一度くらいは更新したくなるような話題ができるなと、最近実感してきました。2ヶ月って、人によっては早かったりも遅かったりも感じる間隔ではありますが、結構入る知識や経験などは記録するにはちょうど良いくらい貯まります。

この2ヶ月の間に、また今までとは違った疑問を持つようになったので、メモとしても含めてブログへ書いておこうと思い、更新します。

 

私は現在大学生なのですが、夏休みで2ヶ月ほど経ち、久々に登校する時期に最近なり、大学へ通っています。(実際はバイトの方が大学よりも多くしているのが最近の近況ですが)

この時期って色々と変化を感じるというか、結構重要な時期だなと改めて実感しました。夏休みという一旦学業が休みになる期間で、学校から離れて生活をするからこそ、4~7月あたりまでに起きた出来事を整理したり、考え直す時期にもなるんですよね。

やっと心境が落ち着いてきた今だからこそ、今後忘れないように記します。

 

では本題に入ります。

その時期を振り返って改めて登校の時期になり気づいたことがあります。

「心理学の善悪」です。

このブログでは、今まで、心理カウンセリングについてのことを触れたことがありますが、どちらかというと疑問を持ちながらも今までは、心理学という学問に肯定的な見方を私自身していました。またそれに携わっている人間についても、憧れという感情を抱いていました。積極的に知りたいと思っていました。

(※人によってもちろん学問の範囲、定義は当然違うことを前提で今回記します。)

しかし最近気付いたことがあります、善い心理学と、悪い心理学があるなということに気づきました。これはきっと心理学だけの話ではないことには分かっているのですが、知識ってどんなものでも表にも裏にも活用できるなということに気づいたという話です。

例えば医学でも、勉強をしてそれでほかの人が良くなる方向へ生かせればそれは大変素晴らしいことだと思いますが、悪用すれば、自分の好奇心を満たすために実験などを行うことだってできると言えるとは思います。そのような悪用には他者への配慮もなければ、自分の欲望に任せているとも言い換えれるでしょう。

それと似たように、自分にとっても他人にとってもプラスになったり、配慮や優しさを持てて、他者も幸せな気分を得るための心理の方法や悩みを解消することにつなげることができるならば、それは善い心理学と言えるでしょう。

また、他人を陥れたりするようなことに心理学の知識を活かしたり、自分の好奇心を満たすために他人で(悪い意味で)実験するような行為などは知識の悪用とも言えますし、悪い心理学になってしまうと思うのです。

 

表があれば裏もある。ただそれだけのことには変わりはないのですが、どちらにも活用できることは確かなのですね。

それで、もうひとつ気づいたことがあります。

それは、そのような学問や知識を持つ者自身の性格によって使い方が決められるということです。

かつて私は、知識を持つ者に憧れを感じ、強くそうなりたいという願望があったのですが、最近それである出来事があり考え直していたら、考えが変わりました。

詳しく書く事は抵抗があるので、記すことはしませんが、(それほど多くの人に知られるのに抵抗を持つくらいには不快な事柄であるので)あくまで知識や学問は、人間性を変えるのに使うこともできるにはできるのですが、人間性という土台がしっかりしていないとうまく使えないということを理解しました。

いくらそういった専門職(カウンセラー)などをしている方でも、人間に対する愛がなかったり、その人自身が愚図なら、いくら知識はあるとは言えど、それによって傷つく場合があるのです。批判しているような内容を書いてはいますが、もちろん大変素晴らしいカウンセラーの方も世の中にはどこかでいると思っています。だけれどそのような人間として是非を問いたくなるような方もいるという事実を知らせたかった。

このような人間がカウンセラーをすることにたいへん憤りを感じる。

最近では、カウンセラーというものは、人間への愛が持てて、決して金銭感覚や知名度を上げるだけのために行ってはならない職業だと思います。知識を深めることは大事ですが、それでクライエントで実験をしたり、クライエントの気持ちを考えずに踏みにじるような行為は禁忌だと思います。

また心理学は、実験やデータを勉強することが多い学問だとは感じるのですが、人間は多種多様で、データでは個々を計り知ることは当然できません。それをデータというあくまで平均のルーティンや数値に当てはめて決めつけ、クライエントの気持ちを尊重しないカウンセラーはカウンセラーとして失格だと思いますね。

以前にこのブログで「心理カウンセラーが冷たく感じる」という内容の記事を書きましたが、だいぶこれでわかったような気がしてきました。

人間愛のない冷たい態度をとることと、人間愛があるからこそ、心を鬼にして厳しいことを言うのとでは全く違いますね。

 

最近ちょっと悪用している方々をよく見ているので、見ていてこころが苦しくなります。わたしもおかしくなりそうです。

あんな本当の意味で冷たい人間たちがカウンセラーを軽い気持ちで目指すな。

舐めた態度でそういった専門職や福祉職を志すな、そんな生半可な気持ちで目指す奴らはやめちまえ。○んでくれ。

ほんとうの慈悲の心がある人たちなんてそういった職業の人達の中の一体どれくらいが持っているのだろうか、気になるところですね。

若干言葉遣いが荒くなりましたが、この記事を最後までご覧頂きありがとうございました。

 

 

7/12 メンヘラにつける薬はちゃんとある

こんにちは、珍しく連日の更新です。

久々にあるコミュニティーサイトを覗いたら、このようなことをつい書いておきたくなり、記事を更新させていただきました。

以前に私のブログで

4/20 知識の海を泳ぐ - TIME

という記事を書きました。こちらも併せて読んでいただけると嬉しいです。

ここでいう「メンヘラ」とは、「精神病を患っているだけの人」を指す言葉として書くわけではないので前置きお願いします。今よく聞くワードの一つです、そのような定義で書いていきます。つまり、必要以上にネガティブになって周囲に喚き散らして弱さをアピールしたり、周囲に迷惑になるような行動などいろいろをするような人のことですね。今もなお私もそのような気がまだ残っているようでたまらない気になることがありますが、自分なりに気をつけています。ただ、かつての私のような行動をしている人をネット上で見ていると、そんな人に少し言いたくなることがあるんですよね。お節介でこれも迷惑な行動なのでそんなことを言いに行ったりはしませんが。

 

彼らが「トラウマ語り」したがったり、やたらネガティブになる原因はあるんです。

「トラウマ語り」をすることにより、実際に過去の受け入れられないような出来事を消化させる、というのと、注目を引くため、という点があると思います。ネガティブになりすぎてしまうのも、前向きに考えることができないのは言うまででもありませんが、それ以上に知識不足だと思います。どうしたらその嫌な出来事を、自分なりに消化できるか、その消化法を見つけられないという話です。単純に嫌な出来事を消化するのが下手だと思います。

以前に書いた記事やそこで紹介しているブログなどを見てほかにも気になったことがあったらどんどん調べて、消化できる量を増やすべきです。

よく傷の舐め合いとも言えるような「わかるわかる、私もなんだよ」っていうのを見たりするのですが、あれは正直あまり効果がないと思います。人間不信がひどいですから。少しでも意思に反する行動をされたら、「案の定こいつも汚い人間なんだな」みたいに思ってしまうことがあるので。そんなことされても嬉しくないんですね。嫌な出来事や嫌な気分が緩和はされても、消化はされないですので。

ただ矛盾があるんです、「人間不信なのにさみしがり屋で甘えん坊」という点なんです。逆にさみしがり屋で甘えん坊でなおかつ嫌な出来事の消化ができない状態で人間不信になった果てにいきつく先がメンヘラです。

こじらせると、「私はメンヘラでこういう人間なの、だからそれを理解しない人はこないで」みたいな考えにもなり果てます。きつい言い方ですが、自己嫌悪が激しくて自分が大嫌いなようで自分大好きなんです。本当に嫌いになると少しはマシにできないものかと嫌な出来事の解決策を嫌でも探すようになります。

もし近くや身の回りに、今後もしそのような人たちと出会い、どうしてもその人のことが大切に思うなら、このようなことを頭に入れておくといいかもしれません。

メンヘラなんだからと突き放したり攻撃するような態度をとってはいけません、余計に人間不信が悪化し更にメンヘラが強化されてしまいます。それよりも、一緒に解決策を探して、徐々に嫌な出来事を消化できる幅を広げることが一番理想だと多分思います。

メンヘラこそ、脳科学を知るといいかもしれません。感情の仕組みなど人間の性質上起こるものを知っていれば、納得できることが増えるのはあります。

納得や消化がちゃんとできるようになれば、幾分かマシになって、ほぼメンヘラ卒業近いような状態になるはずです。

7/11 少年少女が一度は抱くかもしれない心の葛藤の1問題

先ほどの記事に続き、テーマが一旦変わるので別記事として書く事にしました。

人間の持つ「冷たさ」についての記事という点では関連がある話題です。

 

このブログを見てくださっている方やそうではない方でも、一度はこのようなことを感じたことがあったりなかったりすることでしょう。

「白いままで生きていたい、黒になりたくない」という思い。

ちょっとした悪でも受け入れたくないような純粋な気持ちです。中高生の時代にこのようなことを考えたことはありませんか?あくまで性善説を持って生きているような人にしか経験がない話ですが、それらの人にとって幼い、若いうちにこのような気持ちで悩んだり苦しくなることはあると思います。

人は気づかないうちに他者を傷つけることがたくさんあります。しかし時と場合によっては自分自身を守るための行動や他者を守るための行動である場合もあります。それら他者へ向かう攻撃を全て害とし悪とした場合、この世界で生きることは大変苦痛なこととも言えます。いじめに遭って自殺する人でも優しすぎるが上に生きていけなくなった人がいくらかいるようにテレビでニュースを見ていると感じます。

完璧な清さを求めれば求めるほどに障害が起きます。

善く生きて生きた人ほど余計に少しでも悪を取り込むことに嫌悪感を持ちます。

しかし、必要以上にそれを拒み、拒めないような環境になったとき、善く生きることを守り抜くために解離性同一性障害になってしまったり、善く生きたい一心で悪が許せなくて殺人や善く生きることができないなら・・・と自殺に発展する場合もあります。また、全てを悪として生きてしまおうという偏った考えに発展する場合があります。

100%善く生きようとすることはとても大変であり、いいとは言えません。

そうしようとした結果による失敗が招くことの方が悪となってしまう場合があります。

善悪持ち合わせていることが一番快適に生きられる方法なのは言うまででもありませんが、他者に迷惑をかけないことなら悪ではありません。

嘘つきな人間になってしまったって、詐欺など人を騙したり、ありもない嘘の噂を流して誰かが悲しんだり、犯罪になったりするようなことではなければ、思いやりによるものなら悪いものでもありません。

善悪の基準が人それぞれ違うことは生きる上で大変厄介なことです、まだそれはどうしたらいいのか探しているところですが、かつて私は失敗して破綻したことによって周囲に迷惑をかける行動をひたすら続けていた時期があります。

善悪は紙一重です。

私のように失敗して破綻して悲惨なことになる人が減って欲しいものです。

テレビの中の犯罪のニュースを見ていると、そう感じるものがいくつかあります。

7/11 心理カウンセラーはどこか冷めている

お久しぶりです、約2ヶ月ちょっとぶりの更新です。

もはや誰も見ていないのでは?というくらいに更新していませんが、所詮自分用ノートのようなものなのでそこらへんはあまり気にせずに更新しています。

最近はようやく新しい環境に慣れつつあります、しかしまだ慣れない場所もいくつかといった印象です。自分自身ももちろんですが、特に周囲の変化を見ていて心配になることが多いです。必要以上の心配をしたり、良い方向へ向かっていてもどこか不安に襲われていたり・・・そんな毎日を過ごしています。

まだ私の住んでいる地域では梅雨が明けていないように、そのようなどんよりとした気分です。

しばらく更新していないと、生活の中で感じることがたくさんあるものです。それらについてを更新していきたいと思います。

 

私は今勉強している心理学といい、カウンセラーの方と接する機会があります。

まだまだ勉強中なので、わからないことや考えるべき課題は山のようにある中過ごしています。でも、あと何年かはただ知識を覚えるだけの勉学というよりも、考える学問の時間が与えられているので、有意義に使っていきたい所存です。

私自身が過去にカウンセリングを受けていた時期もありましたが、今はそうではなく、逆視点での勉強をしているわけです。なかなか奥が深くて面白いと感じる部分が多く、また、学校内には様々な人がいてウォッチングしている分には面白く感じます。若干悪趣味かもしれませんが、ウォッチングをして、周囲の人間関係の変化を見て推測していくことが面白いんですね。

直接関わると巻き込まれかねないような結構危険なことも耳にしたりするので、そういったことを避けながら変化を見る傍観者です。

ただ引っかかることは、自分自身が精神的に脆いことや必要以上にとりこし心配や不安をしやすい性質なので、職業として心理カウンセラーをする、ということにはしっくりきません。

またカウンセリングを受けていた当時も、今もカウンセラーの先生と人について話すことがあって話していると必ずどうしても感じるものが最近あるんですよね。

話していてどこか冷めたような冷たさを感じ、温かみを感じることが決してないんですね。

他人なので温かくないのは当然の話ですが、それが普通の人よりも強いというか。

決して態度や返答や言葉がきついわけでもないのですが、どことなくそのような感じがします。

よく言えば他人と自分の境界線をしっかり持っていると思います。職業柄当たり前な話だとは思いますが、(ボダのように境界線を踏み込んでくる人も相手をすることがあるため)それでも遠巻きに突き放しているような感じがするのです。

また、どういった人なのかを読み取ることがあまりできません、表面上の部分だけはわかるのですが、それ以外のところがとにかく見る隙がない。

最近それがちょっと怖いんですよね。未知のことに怖くなることは誰でもあることだと思いますが、あまりよくわからない人に色々なことを話す気になれない。私自身の観察力がまだまだ足りないせいだと思ってはいますが、それでも昔感じなかったような怖さを何故か感じてしまいます。

 

先ほど、職業としてカウンセラーをすることができない気がするといった話もしましたが、あなたのような人はカウンセラーになるべきだという話をカウンセラーの方からされることがあります。

最近変な感覚になります、なぜなら周囲で何が起きていてもそれを静かに観察していられる、とよく言えば冷静に、悪く言えば他人事としてみてしまうんですよね。

昔は誰であろうと手を出してやけどをすることがありましたが、(まだ最近も人によってはあります)昔のように誰彼構わず困っていたら助けたいと思う気持ちがないんです。特に自分にとって大切な人以外にそのような気持ちを持つことがない。

冷めてしまったのは私のほうかとも思うことがあります。

冷めていないとやっていけないことが歳を食えば食うほど多くなるように感じています。しかし大切な人に対しては熱くなりすぎてしまうので、冷たくなることが辛いです。元々は冷たく居ることが苦手です。

もしかしてカウンセラーの人たちも本来は人が好きであるわけではなく、辛い経験をしていたり、そのようなことから由来する冷たさなのかなと考えたりします。

 

「優しい」人だけが、自分を「冷たい」と感じるもの。 | 心理カウンセラー根本裕幸

これを見て、確かに、本当に冷たい人はまず冷たいか温かいか自体を考えないのではないかとも思いました。それらを知らないから。

 

わたしは冷たいカウンセラーです。|森玲子☆長崎の心理カウンセラーのブログ

ただこれを見ていると、カウンセリングをするということは、クライアントの問題を解決するために時には冷たくしなければいけないということも当然わかります。しかし、カウンセリングをすること自体ある意味感情の取引をすることで対価をもらえるような仕事に感じてならないことと、第三者を使ってではなく自分自身が携わらなくてはいけないという点においてはカウンセラーを私が将来することは到底厳しいことに思えるんですよね。

 

そんなこんなを感じる今日この頃でした。

4/24 how toサイトの過信は危険

こんにちは!前回の更新から毎日のように更新していきたいと思いつつ、すでに4日が経過してしまいました。

毎日様々なことを調べたり、勉強する日々を過ごしていますが、そういった未知の新しい知識が多いがために、自分の中でまとめるのが追いついていない状況です。ノートなどを活用していますが、自分で考えて吸収するまでの時間が取れていないように感じています…。 

 

さてそういった中での最近感じたことを一つ書こうと思います。

前回の記事で「ネットで調べればなんでも見つかる時代」という当たり前なことについて書きましたが、今回はそうすることにおいて引っかかりやすい危険なことについてを書いておこうと思います。

ネット上で「日常生活での人間関係の悩み」や、「性格についての悩み」などを検索すると大量に引っかかるHow toサイトの過信による危険性についてです。

例えば、裁縫の綺麗な縫い方や、お菓子を作る手順などはもちろん特にそれによって悪影響が起きるというリスクはありませんが、先ほど述べたことがらにはリスクが伴います。

なぜならそれは万人に対しての内容なので、必ずしもその人に合うとは限らない内容であること。

合わない方法を無理に実行すると、自分自身も苦痛に感じたり疲れることや、周りに迷惑をかける危険性が特にあります。

そういったHow toサイトは○○した方がいいと書かれているだけで、いかにも万人に納得させるような文章が書かれています、しかしそこに具体的な根拠がない場合は特に危険です。科学的、歴史的根拠を元に書かれていて、尚且つ自分で考えるように導いてるものは例外です。

自分自身で一度考えてから正しい行動のためのHow toなのかを見極める必要があります。

ネット上には嘘の情報もたくさん出回っていますが、それと同じくらいに危険なのかもしれません。


私もそうでしたが、周りに相談する人や指摘してくれる人がいない場合に陥りやすくて危険と言えます。

闇雲に知識を鵜呑みにせず、正確な情報を用いて自分で考えられるようになりたいもんです。

4/20 知識の海を泳ぐ

先程の更新から引き続きの更新です。

今日は

死にたい時こそ前のめり

というブログを発見し読んでいました。

このサイトはメンタルも扱っていますが、同時に教育に関してや家庭、可能性など幅広いテーマについて扱っていました。

現在は更新が止まっているようですが、歴史や科学的根拠をもとに説明がされており、非常に理解しやすい内容となっています。読んでいるとまだまだ知らないことだらけだなぁと私は感じたので、経験不足で知識が浅い人間です。知識の重要性について理解することができました。

今まで義務教育などの座学をしていた中で勉学に(資格を取ることは趣味みたいなものであった)関心を持ったことがあまりなかった私ですが、行動実験や、脳の仕組みについての内容には興味を持ち、もっと知りたいと思いました。知った上で何か自分で見つけられることがあったら、このブログの記事にしていきたいです。先ほど紹介したブログには載っていないこともまだまだあると思うので、見つけていきたいなと思います。

小さい頃から学校での特に普通科目の勉強に関しては、将来就職に困らないようにするためのものという意識で思っていたため、実際いつ使うんだろうなとあまり身近に感じられることがなかったのが勉強に対して興味を向けられなかった、楽しいと思えなかった原因の一つなんだなぁと最近感じています。

 

先ほど紹介したブログのどこかの記事に書かれていた内容には

昔は今の時代と違って、書物は高いものであり、一般人が手を出せなかった。

現在は誰でもが本を読めるようになり、インターネットを見ればたくさんの知識が広がっている。 

つまりは誰でも賢い人になることができる。

 とのような記述がされていました。

関心や興味さえあればどんなことでも知れる時代なのかな?といったところですね。

 

あと私はこのブログで頻繁に様々なブログさんを紹介していますが、ブログを覗くことは、その人の経験や知識が綴られていて見ていて楽しいといつも思います。

紹介していないような分野のブログも頻繁に見ていますが、文章力が高い人に憧れを感じます。

なぜなら・・・

文章力が高い人は、体験を詳細にわかりやすく、なおかつまるで見ている側なのに実際に体験しているような感覚が起きるのがすごく面白いところです。

単に情報を知るだけではなく、実際に体験しているような感覚が再現されると、「もし、こんなことをしてみたら・・・私だったら」といろいろ考えられることが楽しいと思います。

この楽しさについて伝えたくて今回記事にしてみました。

このブログを見てくださっている方にも、この感覚の楽しさを知っていただけたら嬉しいです。