TIME

日々の中で気づいたことを綴ります

8/27

先ほどの記事に引き続いての記事となります。

一応ここで述べておくことにします。

 

私の場合、このブログの過去記事を遡ればわかる通り、精神的にやられていた時期がありました。

それがよりにもよって”進路決定の時期”

そう、数年前のこのあたりの時期だったのです。

今でも記憶があやふやなほどやられていました。そのため、自分自身で進路を決めることができず、気が付いたころには時すでに遅し状態だったのです。

ちょっとずつ落ち着きつつある頃には、大半の大学がもう入試が終了しており、申し込めない状態になっていました。

そこで残っていた大学にとりあえず進学をすることにしました。

それが現在のFラン大学。

今ネットで調べてみると定員割れしている模様で、通常ではありえないほど入試期間が幅広かったです。AOなんて3月くらいまでやっていたような。

そんな場所には気を付けましょう。

 

そういったわけで決まりましたが、とても今となっては何とも言えない気持ちです。

実態を知ることができたという反面、この進学は無駄だったんじゃないかと思う気持ちもあります。無関係な分野の学校で、勉学にも興味が持てません。

 

こんなことを述べたところで何もならないですが、一応説明として書きました。

文章もこの通り、もともと勉学はできる方ではなく、高校も一般的に言う中堅高校の出身です。

ただせっかくそういった体験があるのだから、もっと実態に関しての認知が広がればと思い、先ほどの実態の記事についてを書かせていただきました。

8/27 Fラン大学の実態

インターネット上で検索すると、Fラン大学についてのまとめ記事や、サイトなどを結構見かけますが、気になったことがあるので、書こうと思います。

一応Fラン大学に所属している身として。

ある意味特殊な入学をしているので、その事情については、テーマの「実態」とは逸れてしまうため、後ほど書かせていただきます。

 

バカの収容所?Fラン大学がクソ過ぎて社会問題になってる件

F欄大学あるある|F欄大学に通っていた人ならわかる衝撃の実態 - LIFEEKer

 

まずこれらのサイトを見ると「本当に事実なのか?信じられない!」と思う場合があるでしょう、でも本当です

この中で実際体験した限りでは、

  • 中学生レベルの講義(特に英語、be動詞や文法がわからない前提)
  • よくわからない意識高い系の存在
  • 講義中何でもし放題
  • アルファベットすらわからない

この辺りはもはや当たり前です。入学したときはあまりにも驚きました。

ここが学校なのかと疑問に感じるレベルです。高校もこういった場所が存在するのかどうかは分かりませんが、大学には存在します。

そして、よくわからない意識高い系は事あるごとに勉強をしない(ように見える)人に対して、目くじら立てたような態度を取って突っかかってくるため、非常に厄介です。

 

今までで特に衝撃を受けたのが、講義中にAVを再生し続ける女子などがいることですね。講義中に喘ぎ声が聞こえてきたときはびっくりしましたよ・・・。

その他にも講義中にカップ麺を食べだす、化粧をするなど本当にめちゃくちゃです。

講義によってはまず先生自体が注意をしません。

そして先生自体も講義に平気で遅刻をします。

ひどいと15分以上は遅れます。

また、休講なども先生の都合の場合が多いです。(出張など仕方がない事由はともかく、先生の個人的な旅行などそういったことでも休講になり、振替になるのでたまったものじゃありません)

 

また、これは私の在籍している学校のみかもしれませんが、学校のやり方(※学務課に当たるかもしれません)も大変ずさんです。

例えば学費の引き落としに関して、引き落とし日のギリギリ、1週間を切った状態で封筒が送付されてきました。

また、用事があって学務課に日時を決めてアポ取ったところ、伺った際には忘れられており、不在であることが何度かありました。

そういった連絡も適当なので、大変に感じました。

あと学務課の人が飯食いながら仕事をしている・・・

また人によってはタメ口で外部からの電話を取って応答している。

色々とあり得ない光景があるものです。

 

とにもかくにも言いたいことは

何らかの特殊な事情があっても、Fラン大学に入らない方がいい。

手続きに結構な苦労をするし面倒くささ極まりません。

入学したところで学費も高いですし、メリットを感じません。

 

大学進学を考えている高校生は特に今一度この時期、考えてほしい。

本当に自分にとってメリットがある大学なのかどうか。

その他の立場の人もこういう実態があるということを知ってもらいたいです。

8/24 エロゲの日常

先ほどの記事に引き続いて更新します。

記事タイトルがこれだとなんだかびっくりされそうですが・・・今回はそういう話題です。

好きに書くブログだからいいんです!書きたいことを書いていきますよ!!!

 

先ほどの記事に若干内容は引き続いています。

まあ、プロフィールアイコンがこれなので、カンの鋭い方はどういう趣味の人か前々からバレているのではないかとは思います 笑

 

さてでは本題です。

ふと気づきました。

エロゲの日常、エロゲの中での人間関係って

ほとんど対面しているじゃないか! ってことに。

というか当たり前ですよね これ。

逆にこういう系統のゲームは大概の場合直接触れ合わないと、イベントが起こせないのではとは思います。

 

変な話、日常系なもので、エロゲの主人公もヒロインも、ずっと会うこともなしに、終始オンライン上で関係が終結していたら・・・さすがにつまらないですね。 いや?面白いか。

でもカップル~になる前の時点から既にアナログ方式で関わってるもんだと実感します。

せいぜい電話、メール、ブログなどはありますが、それでも一度も会わずになんていうことはまずないのかなと思います。

 

実生活でも改めてそのあたりを振り返ると、アナログ形式で日常を楽しんだ方が、毎日の生活が楽しく過ごせるかな?とふと考えます。

男女問わず、いろんなイベントが日常に溢れていたら楽しいのかなあと感じます。

 

徐々にどうしても仕方がない場面は除いて、アナログ化していきたいものです。

ただ、どちらかと言えば趣味は家に籠ったりすることが多いですが、それでもちょっとずつ外で楽しめることをまた見つけられているので、いいかなと思っています。

最近はバッティングとゴルフを初めてやりました。楽しい!!!うおおお!!!!!

8/24 SNSが苦手

たまーにこのブログにログインをすると、○○PV!などと表示される。

・・・意外と見る方がいるんだなあと、ひしひしと驚きます。

 

さて、ではちょっと最近考えたことがあったので、ブログを更新しに来ました。

ネットサービスと人との距離感について考えていました。

そうしたら、自分はSNSがどうも苦手だなあと改めて思いました。

 

ということで、一つずつゆったりと特徴を考えてみることにします。

まずは

1.リアルな人間関係

この中でインターネット上での繋がりは除きます。

通常、日常生活で過ごしている中には、対面するだけの相手もかなりいると思います。

オンラインで繋がっていない身近な人のことを指します。たとえば、家族や職場やクラスメイトなど。

特徴をあげると

  • 嫌な相手がいても、オンラインのように簡単には切ることができない
  • 対面やメール、電話などの連絡をしないとコミュニケーションが取れない
  • 会っていない、連絡をとっていない期間は相手のことがわかりにくい

思いつく範囲で、こんなことが言えるかなあと思います。あくまで個人的な見方です。

ほかの人を通じて相手のことを知るか、連絡や対面して話をするほかに相手を知る機会があまりありません。

また、相手の態度や言葉などでしかどのようなことを思ったり考えているのかまではなかなか知ることができません。

 

2.SNS

身近な人たちと繋がっている場合も、ネット上の人と繋がっている場合も含みます。

  • リアルタイムに相手のしていることがわかる(サービスによるが)
  • 直接話さなくても相手の好みなどがわかりやすい
  • 考えていることや思っていることなどもわかりやすい

色々なことを知ることができるというメリットがあると思います。

それ故に会う必要が少し薄れてしまうのではないでしょうか。

「わからない」からこそ、会った時に話のネタにもなり、盛り上がるのかなあと考えるところはあります。

ただ、知ることができやすいうえにそのようなデメリットや、余分なことまで知って傷つくということは多いかなあと思います。

心が弱い人にはあまりお勧めできない、と最近になって感じます。

特にオンライン上では簡単に人と繋がったり、人を見つけることができる反面、親密につながることは難しいと感じます。

また、友人からも聞きますが、SNSを通じてリアルの人間関係で問題が起きたり、揉めるということも結構多いようです。

 

3.ブログ

今見ているこのようなサイトがブログです。

  • 好きなことを書ける
  • どこかで誰かが見て欲しいときなどに使える
  • 教えない限りリアルの人が知ることは少ない

あまり意識しない限り、人間関係で親密になれたり、コミュニケーションを取らなくてはいけない場面は少ないです。

上記2つに比べると、人との距離感は結構ある気がします。

それ故に好きなことを書くことができます。

SNSはタイムラインが存在するため、誰かをフォローしたり、フォローされていれば、

開いたら自然と誰かしらの情報を目にすることになります。

その点ブログサービスは、相手の記事やブログを開かない限り通常は勝手に情報が目に入ることはないのかなあと思います。

 

このようなことをまとめると

人間関係の距離感が近いのは

SNS > リアル > ブログ  

になるのかなあと個人的に感じています。

リアル以上にSNSはいつでも知れることができる反面、人付き合いが苦手だったり、傷つきやすい人にはきびしいなあと最近になって感じています。

だけども使い方によってはSNSをブログのように使うこともできるのかなあとも感じます。

 

いやーブログってそう思うと結構お気楽でいいですね。今になって思います。

この先も同じような思いでブログをあえて利用する人も少なからずいるでしょうし、ブログサービスが今後も継続されてほしいものだと思います。

 

今の時代町中を見るとほとんどがずっとスマホを触って常に誰かと繋がるこのご時世。

家に帰っては趣味に没頭し、外で友達と会い そんなことをしていたのがつい最近のように感じて、違和感があります。

4/7 Twitter、やめました ~Twitterの歴史を振り返る

先ほどの記事に引き続きの更新となります。

こちらのブログにリンクは今まで貼っておりませんでしたが、(逆にツイートでこのブログを呟くことはありました)Twitterツイッター)を最近までやっていました。

「最近まで」。

 

そう、Twitterをやめました。

今までアカウントを何度も消したり復活させたりを繰り返したりしつつなんだかんだで利用していたTwitter。黎明期から利用し、途中で1、2年ほどやめ、その後再び使い続けて全体では5、6年ほどは利用した気がします。

しかし、具体的にはアカウントを全て消去したわけではありません。

今はTwitterアカウントを使うことによって店などで割引が受けられたり、ほかのサイトの登録が楽に済んだりするメリットを受けることができます。またゲームのアイテム入手やデータの保存、ありとあらゆることで結び付けられているので、それらの面でデメリットとなるため、使わないアカウント(ツイート1)にこれらを結びつけてはあります。また、商業的な活動を行うアカウントのみは残してありますが、日常利用するアカウントは全て削除してしまいました。

スマートフォン端末のアプリなども全て消してしまいました。

一番思い入れがある、Tweetbot2までも消去しました。(2をつい最近まで使い続けているあたり時代遅れ感がありますが)

かなり思い入れがあるので、今までもどうしてもこれだけは消せなかったのに、ついに消してしまったんですよね。本当に終わりを感じます。

 

未だにこんな形でやめていくらか期間が経つわけですが、振り返るとすごく懐かしみがあって(中には黒歴史なるものもありますが)楽しかった思い出なども蘇るので、それらを書き記したいと思います。

ただの個人的な歴史です 笑(あやふやな部分もありますが、ご了承ください)

 

  • 黎明期時代(2008年前後)

この頃はフォローフォロワーも数十ほどで100前後だったと思います。

まだ全体的にユーザーの利用数が少なく、ひっそりと利用をしている形でした。

利用をしている方も、この当時は個人サイトを持っている方や外部の掲示板などを利用されている方が多かった印象があります。そしてそういった共通の場所のつながりから発展した繋がりで利用をしていました。mixiなども当時はよく利用されていたと思います。(私はこの頃mixiは利用していませんが)また、内輪での利用といった形で、あまりオープンではありませんでした。

まだこの頃はこういった外部のコミュニティーサイトがとても活発だった頃に感じます。Twitterに関連したサービスもまだ発展しておらず、まだスマートフォンがあるような時代でもなかったため、今ほどまでツイートもしやすいとは言えません。

こう思うとTwitterの発展の背景には、そういった技術的・情報ツールの発展も背景にあるように感じますね。

そして企業の宣伝などの商業的な面でも、当時はあまり見かけませんでした。

このあたりの時代はネット上での交流も娯楽の一つでした。

 

2011年前後につきましては省略させていただきます。(この頃は1,2年ほど利用していなかった期間であるため)

 

  • 発展期時代(2013年前後)

この頃に再びTwitterを利用開始しました。

黎明期時代に内輪で揉めてしまい、ツイート(当時はつぶやき)をすることがなくなってしまったため、やめたことがこの時にやめた理由ですが、再び始めようと思ったきっかけは、Twitterをやめていた期間にまた別の外部サイトで知り合った人と連絡を取るためでした。

しかし戻ってきてびっくりしたことは、Twitterがかなりオープンになっていたことです。

背景としては、この頃辺りからスマートフォンが現れ、だんだんと普及をしつつあったことでしょうか。そして、ブログやHPなどの個人サイトなどが薄れつつあった時代ではあります。

この頃辺りから外部サイトでの利用もされるようになり、また、身の回りのリアルの生活でもぼちぼち利用する人が出てきました。ネットだけの繋がりの利用者は確かに多かったですが、現実の友人などもちょくちょく利用していた形です。(特にmixiと併用をしつつTwitterを始めたといった人が多かったです)

この頃辺りからフォローフォロワーも増加しました。

数百単位にまでは登りました。この頃辺りからアルファと呼ばれる大勢の(数千~数万以上)フォロワーをもつツイッタラーが現れ始めたような気もします。

「ふぁぼる」「ふぁぼ魔(ふぁぼをしまくる人)」「アルファ」「パクツイ(ツイートをパクって呟くこと)」といった用語や、またキチ顔文字と呼ばれる独特な顔文字(☝ ՞ਊ ՞)☝←このようなもの が出始めたのもこのくらいの時期という印象があります。(ふぁぼる・・・ツイートをお気に入り登録すること)

また、プログラムなどを組める人がこの時代にはふぁぼを大量にする機能や、大量にリプ(リプライ)を送る機能などを開発していた印象もあります。

私もこれらの行為を行って楽しんでいた一員でもありました。

最近はこれらも見かけなくなり、少し寂しさがありました。

商業的、企業的な利用もかなり増えていました。

黎明期に比べ圧倒的に、様々な情報が飛び込むことも増え、また、たくさんの人と知り合うことができました。しかし、適度な情報量がちょうどよく感じた頃でもありました。

そしてこの頃はよく「オフ会」というものをしたものです。

(オフ会・・・オンライン上の同じ趣味や仲の良い人で集って会うこと)

この頃はたくさんの人と会ったものです、良い思い出も悪い思い出もある時期ではありますが、なんだかんだでその頃は非常に楽しかった。

たくさんの人と実際に遊べることがその当時の楽しみの一つでした。

そしてこの頃辺りにリアル生活のほうでこのブログを書くきっかけになったような出来事、トラブルに見舞われ、精神的にも狂いつつありました。リアルの人間関係を常軌を逸した方法で破壊され、尚且つ追い込まれました。

しかし、こういった楽しみをして、そういったことを忘れようと必死に目を背けやり抜こうとずっと楽しいことだけを考えて、楽しいことだけをして過ごしていました。だけどチクチクそういったストレスが蓄積されていた気がします。当時は無理をしすぎていたと感じます。そして更にこういったところまでも付け入ってこられ、結構な人数の友人を失くしました。本当はすごい孤独な状態になっていたのに、すごい強がっていました。だけど寂しさというボロが出た。

そしてそういったストレスの爆発もあり精神的に狂っていたままいつからか楽しみが変な方向に行っていたと感じています。普通の交流とは呼べない状態になってしまっていた時期がありました。そして更にそれで数多くの人間関係を自らダメにしました。あの頃はそれはもう自暴自棄でした。今考えるととんでもない迷惑をかけたことが本当に申し訳がない。何も関係のなかった人まで巻き添えこんで下手すれば覚えていないところでとんでもなくひどいことをしたかもしれない・・・とすら思ってしまいます。

それから2014年くらいはフェードアウトしつつ、ちょうどこの辺りからちゃんと治療やサポートを受け、ひっそりと同じ県内の人たちと利用していました。

この部分の内容が多いことだけでも分かる通り、Twitter生活の中で一番濃かった期間だと個人的には感じています。

 

  • 現在(2016年前後)

とにかく情報量が増加しました。最近は特にそれを圧倒的に感じていました。

商業的な流入やビジネスの参入を濃く感じます。

ここ最近は特にバイラルメディア(共感したらシェア!)などといったものをネット上で見かけることが増えた影響も大きいでしょう。

また、ユーザー数も爆発的に増加した気がします。

それもそのはず、この記事に書いている黎明期~で比較すれば大分Twitterの知名度も上がりましたし、またスマートフォンを所持する年齢の低年齢化もあり、現在の中学生などが利用をしていることも背景にあります。最近働いているとやってくる中学生などがTwitterの話題をしたりスマートフォンを使いこなしている様子を見ているとそれを強く実感します。なんせ私の当時よりかそういった機械を使いこなしている子の割合が高いですからね。

そういった世代の交代もあるのかなぁといったことを感じることが増えましたね。

発展期時代に流行っていた「あそび」(ふぁぼなど)がなくなってしまったことに寂しさを覚えます。

ああいう悪ふざけ、今の時代でやったらきっと悪ふざけではなく迷惑行為ととられるんでしょうね。

悪ふざけなノリで楽しめた時代が本当に好きだった。真面目な人が増えたって言ったら増えたんだろうけど、どうもあんまり好きになれなかった。

発展期時代に繋がっていたフォロワーもTwitterをやめていった方が大勢います。

また、タイムラインに流れる内容、特にRTなどで流れてくるツイートの傾向が変わったと感じることが増えました。以前までは盛り上がっていたような内容があまり盛り上がっていなかったり、(盛り上がってはいるのですがそう感じられないのは時代が違うからかもしれません)全体的にあの頃より一人あたりの呟く量も減っていると思います。

個人サイトや掲示板についてはもう殆ど見かけないと言っても過言ではないくらいに、検索をするとバイラルメディアやキュレーションサイト(まとめなど)がヒットして時代の変化を感じさせられます。私は個人がアイデアを見つけて作るwebサイトに良さを感じていたため、調べやすさはよいとはいえませんが、ネットサーフィンは昔のほうが楽しかったと感じています。

 

この度そういった時代の変化についていけれていないというのもTwitterをやめた原因の一つにほかなりません。

私生活が落ち着いたこともありますが、真面目すぎるのってどうも嫌い。

タイムラインに流れる内容も、自分自身の将来の悩みや人間関係の悩み、コンプレックス・・・etcそんな内容で埋め尽くされている日もここ何ヶ月か見ていて特に多くてうんざりしていました。これらのことを呟く分には自由な場だからいいとは思うんですけど、あまりにも多くて開いた時に埋まっていると影響を受けて落ち込むことがありました。次第にこれらの内容を見ることが嫌で、Twitter自体の見る頻度も減り、呟きもだんだん減っていきました。

そういった悪影響になっていたという理由もあります。

またそれらのツイートを見て怒りを感じることもありました。表にいくら出さなくとも、やはり人間に嫉妬はつきもので、いらだちを感じるんですよね。だからといって良からぬことを企てたりはしません。

またそういった何かしらの嫉妬を大声で叫ぶようにツイートをする人などそういう他人の良からぬ感情を見る機会が増えたことが一番の原因です。

そして今はリアルで悪ふざけできるような人がいるにもかかわらず、そういった人にこういった悪影響が出てしまっていたので、よくないと思い決心しました。

楽しさや幸せが溢れる場所を大切にしたい。そしてそういった場所を見つけたら飛び込んでいきたい。そういう心機一転の意味も込められています。

もっとネット上が今後そういった形でシフトし発展をしていって欲しいものです。

そしてそれに何らかの形で携われたら と思っています。

 

最後に

感謝を込めて ありがとう Twitter

 

4/7このブログと境界性人格障害

おはようございます こんにちは こんばんは

約半年ぶりに更新&ブログチェックを行っています。

また更新したい内容があったためログインをしました。

(そちらについては記事が長くなるので、分割します)

ふとアクセス解析を見てみたところ、このブログは境界性人格障害について調べられている方からのアクセスが大変多いですね。最近こういったことを書いてはいませんし、更新の頻度も低いですが、それでもアクセスをされる方の多さに驚きを感じています。

以前にツイートでも似たような体験をされた方からツイートをされていたことがありました。

それだけ皆様悩まれている、もしくは知られてきているということかもしれません。

昔から境界性人格障害の方は一定数いるとは思うのですが、今は学生世代でもこのような方が存在するので、不思議なことではないですね。それはよいとは当然言えない傾向ですが。

知識や対処法についてが浸透することはいいと思いますし、浸透して欲しいとは思います。ターゲットになって悲惨な思いをされる方が減っていただけたら嬉しいです。

ただほんとうは、境界性人格障害の方々が増えないことが一番だと思いますが、さすがにそれは簡単なことではありませんね。

 

あと最近私は、部屋の大掃除や大処分を行いました。

今までずっとぐちゃぐちゃな部屋に居続けていましたし、どんなものがあるかも最近は全く意識せずに生活をしていました。

しかし最近生活をしていて引き出しを開けたら、病んでいた頃の持ち物を部屋から発見してしまい、複雑な気分になりました。それから数日経ち自力で処分を行いました。

病んでいた頃だったら絶対に処分できなかった物です。

一つのポーチ。 中身は・・・察しと言わんばかりのものが詰まった自傷道具箱。

今になって見ていたらこの頃はある意味薬箱のようになんとかボダからやりきるため、また自分の精神が異常なときに使用していたもの。

ものすごく壮絶な雰囲気がしました。

そしてそっと処分しました。

今後に引きずらないためにも。

なんだかんだでちょっとは根に残っているため、引きずらまい引きずらまいとしている感が否めませんが。

でもどうにかこうにか今は平和な(?)毎日が送れているためとても幸せだと感じた瞬間でした。

 

12/16 大学で心理学を勉強する前に読んで欲しい

お久しぶりです、こんばんは。

毎回期間をあけてしか、このブログを開いていませんが、それでも閲覧している方々がいることに感謝します。

近々新しいことにチャレンジをしようと、様々な試みを実践していました。

前回の記事に引き続き、下書きを10/2にしていましたが、そのまま約2ヶ月も放置しました。下書きをしたことすら忘れていました・・・。

ということで、下書きの内容について完成させておきます。

今回は

大学で心理学を勉強したい

と考えている方に一度は目を通して欲しい内容です。

自分の目的とは違った選択をして後悔しないように。

 

インターネット上で検索をかけても、心理学科がどういうものなのか、詳しいことについてまで触れられる機会は少ないですが、いっぽうで一部の掲示板などには記述がある内容を触れていきます。

入学するまで結構、学科に関した情報って少ないんですよね。当然ながら、学校側からすれば、生徒が入ってくれることは嬉しいことであるので、伝えない落とし穴があるんですよね。

福祉に関連した心理学なのか、商業などに関連した心理学なのか、ひとことに心理学といえどたくさんあり、それぞれ違いがあります。

よく誤解を生むのが「心理学を勉強することにより、人の気持ちなどがわかるようになる」といった解釈です。あくまでデータや一般理論に基づいた勉強をするばかりなので、個々の違いだったり、そういったことを勉強することには向きません、不向きです。

実際に私が入学してそう感じました。日常的に生かせられるような勉強はほぼできません

また、心理学は人によって認識や理解が異なる学問であり、自己解釈、発見をしていく人と、過去の知識に囚われて、教科書やテキストなどマニュアルのたぐいをそのまま鵜呑みしている人が存在する。

また、古い知識を過信し、勉強を怠っているような方々も見受けられます。

これは先生、生徒ともどもに言えることです。

ある種の宗教的なものだと思えて怖いと感じるんですよね。

ワンパターンな考え方を植え込まれているようで。

授業では「個々の違い」という要素は含まれていないです。

理論などは、平均化と分類分けでできており、分類外までは考慮されていません。

 

つまり言いたいことは、

「これが正しい」という考え方は存在しないのであって、「これが普通」といった考え方も、人によっては「おかしい」と感じる。

生き方や性格に、正しいも誤っているもないと思います。

 

あと心理学は歴史の勉強みたいなものです。

過去の理論を作った人や、心理学の歴史について勉強することが多いです。

それらに興味があるのならば、価値がある勉強を出来ることだと思います。

また、なにかの職業を目指す上で、「心理学」が必要な場合も有意義に勉強が出来るでしょう。

もしそれらに興味がなく、「心理テスト」感覚や、「人と関わるのが苦手だからなおしたい」、「ただなんとなく」「人に勧められたから」といったような内容で進学しようと考えている場合は、もう一度よく考えてみてください。